夫婦別産制をとる民法の建前上、老人ホームへの入居に関し、入居一時金を支払うときに、夫が妻の、妻が夫の入居一時金を負担した場合、贈与税の課税対象となる場合がある。
入居一時金の支払い債務を負うのは、原則として法人ホームの役務提供を受ける入居者である。妻が入居し夫が一時金を支払った場合、入居契約上入居者が債務者となるなら、夫から妻へ当該一時金に相当する贈与(金銭の贈与、又は相続税法9条に規定する経済的利益の贈与をいう。)があったことになる。
この場合、当該贈与財産が「扶養義務者相互間において生活費に充てるためにした贈与により取得した財産のうち通常必要と認められるもの」に該当するかが問題となる(相法21の3①二)。
判決例には、非課税財産と認定したものと、否定したものがある。いずれも、入居後数ヶ月以内に一時金負担者の相続が開始し、相続税の申告が行われた事例である。
判決事例は、入居の目的(要介護状態となっているか否か)、入居一時金の金額(数百万円なのか、数千万円なのか)、施設の設備状況(質素か豪華か)等を総合的に勘案して、生活費に充てるために行った贈与財産のうち通常必要と認められるものに該当するかを判断している。なお、通常必要とされる生活費に該当するか否かは、必要な都度、必要な額を負担した場合であるとするのが従来からの国税庁の解釈である(相基通21の3-5)。
入居時点で贈与と認定されないようにするには、老人ホームとの入居契約において、入居一時金の支払義務者を資金提供する配偶者(多くの場合夫)にすることが重要である。月々の生活費や入居費、入居一時金の償却費など、入居者が受ける生活利益に対する費用負担は、扶養義務相互間における生活費に充てるため通常必要と認められる非課税財産に該当するであろうが、前払いの性格を有する一時金は、未償却部分が解約により返還されるので、返還金請求権を資金提供者が有している契約形態ならば当該部分に関する贈与の問題は生じないと解するからである。
老人ホームの都合で資力のない入居者が契約当事者とならなければならない場合には、資金負担者と入居者の連帯債務として一時金を納付することとし、連帯債務者である資金負担者と入居者の間で入居者の内部負担割合をゼロとする契約を締結しておけば、(月々の償却費以外には)贈与の問題は生じないと解する。
老人ホームの入居者が死亡した場合、入居契約が自動解除されたり、相続人により解約された入居一時金の一部が返還されたりすることがある。一時金の返還請求権は金銭に見積もることができる経済的価値のある権利であるから、返還請求権が被相続人に帰属していれば本来の相続財産に該当する。
夫婦2名で入居し、入居金の負担者である夫に相続が開始した場合、契約の一部解除による一時金の返還請求権は相続財産となる。
妻が入居している部分についての一時金を夫が負担しているが、入居契約上未償却部分の返還請求権が妻にあるという契約ならば、未償却部分は相続財産とはならない。この場合、入居一時金の支払い時点で、当該金額相当の贈与が行われたと認定される可能性が高く、当該支払が扶養義務の履行であるならば贈与税の非課税財産となるが、そうでなければ、贈与税の除斥期間の問題となる。一時金の負担時点(入居時点)に非課税財産になるか否かの基準は、平成22年11月19日の裁決の認定基準である「入居金に相当する金額が介護を必要とする配偶者の生活費に充てるために通常必要と認められるか」が参考となる。
月額100万円の豪華な賃貸マンションに居住している妻に対し、家賃相当額の贈与が行われたとして贈与税が課税されることはない。賃借人である夫が負担した保証金は相続財産となる。
これに対し、健康に問題がない状態で老人ホームに入居すると入居一時金の贈与の問題が生じるのはなぜか。
実務的には、入居一時金の負担者が夫であれば、契約者が妻であっても、返還される未償却部分の一時金は相続財産となると取り扱うことができれば、相続税の課税漏れは生じない。
ところが、契約者が妻であり、資金負担者が夫であるならば、入居時点で贈与が行われたと解さざるを得ず、相続税の調査において、当該負担金が贈与税の非課税財産になるかが争われるのである。